阿弥陀堂だよりのまとめ

雨ニモマケズ - 宮澤賢治
边上平假名为自添。
雨ニモマケズ (雨にも負けず) 風ニモマケズ (風にも負けず) 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ(雪にも夏の暑さにも負けぬ) 丈夫ナカラダヲモチ (丈夫な体を持ち) 慾ハナク (欲は無く) 決シテ瞋ラズ (決して怒らず) イツモシヅカニワラッテヰル(いつも静かに笑っている) 一日ニ玄米四合ト (一日に玄米四合と) 味噌ト少シノ野菜ヲタベ(味噌と少しの野菜を食べ) アラユルコトヲ (あらゆることを) ジブンヲカンジョウニ入レズニ(自分を感情に入れずに) ヨクミキキシワカリ(よく見聞きし分かり) ソシテワスレズ (そして忘れず) 野原ノ松ノ林ノノ (野原の松野林の) 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ(小さな茅葺の小屋にいて) 東ニ病気ノコドモアレバ(東に病気の子どもあれば) 行ッテ看病シテヤリ(行って看病してやり) 西ニツカレタ母アレバ(西に疲れた母あれば) 行ッテソノ稲ノ朿ヲ[「朿ヲ」はママ]負ヒ(行ってその稲の束を負い) 南ニ死ニサウナ人アレバ(南に死にそうな人あれば) 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ(行って怖がらなくてもいいと言い) 北ニケンクヮヤソショウガアレバ(北に喧嘩や争訟があれば) ツマラナイカラヤメロトイヒ(つまらないからやめろと言い) ヒドリノトキハナミダヲナガシ(日照りの時は涙を流し) サムサノナツハオロオロアルキ(寒さの夏はオロオロやる気) ミンナニデクノボートヨバレ(みんなに木偶のボーと呼ばれ) ホメラレモセズ (褒められもせず) クニモサレズ (苦にもされず) サウイフモノニ (そういうものに) ワタシハナリタイ (私はなりたい)
先生にいただいた手紙:(估计有误)
「有名になることは決して良いことではありません。それは、人間を高めはしない。創造の目的は評判でも成功でもありません。ついにうかうかとみんなの口の端に残ることなど、恥ずかしいことと思いなさい。」
先生の言葉:まあ〜自分の価値があるかないか(?)、この歳になってもわからないものさ。そんなことはどうでもいい。とにかく自ら志した道、悔いのないように歩んで送った。
「人の世話にならぬよう 人の世話をするように そして報いを求めぬよう」
「何事も大切なのは姿なのだ。姿にはその人の心を映す。」
阿弥陀堂だよりその1 ー お梅ばあちゃん:
目先のことに とらわれるなと
世間では言われていますが。
春になればナス、インゲン、キュウリなど、
次から次へと種を植え、水をやり。
そういうふうに 目先のことばかり考えていたら
知らぬ間に 九十六歳になっていました。
目先しか見えなかったので、よそ見をして、
心配事を増やさなかったのが よかったのでしょうか。
それが長寿の ひけつかもしれません。
阿弥陀堂だよりその2:
お盆になると 亡くなった人たちが阿弥陀堂にたくさんやってきます。
迎い火を焚いてお迎いし 暗くなるまで話をします。
話しているうちに 自分はこの世のものなのか あの世のものなのか 分からなくなります。
もう少し若かった頃は こんなことはなかったのです。
怖くはありません。
夢のようで このまま覚めなければいいと思ったりします。
阿弥陀堂だよりその3:
娘の頃は 熱ばかり出していて 満足に家の手伝いもできませんでした。
家のものも村の誰もが この娘は長生きはできないだろうと言っていたものでした。
こんなに死ぬのを忘れたような 長生きになってしまうのですから 人間なんてわからないものです。
年を取れば取るほど 分からないことが増えてきましたが その中でも 自分の長生きの原因が一番分からないことです。
阿弥陀堂だよりその4:
雪が降ると 山と里の境がなくなり どこも白い色になります。
山の奥にある ご先祖様たちの住むあの世と 里のこの世の境がなくなって どちらかどちらだかわからなくなるのが冬です。
春、夏、秋、冬。
はっきりしていた山と里の境が 少しずつ消えてゆき 一年が巡ります。
人の一生だと同じだと この歳にしてしみじみに感じます。
(听译,不足之处多多见谅)
南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華経 南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩